【配信停止中】別離
三面記事のような出来事の中に驚くほどドラマがあるイラン映画「別離」
原題:Jodaeiye Nader az Simin
2011/イラン 上映時間123分
監督・脚本・プロデューサー:アスガー・ファルハディ
撮影監督:マームード・カラリ
出演:レイラ・ハタミ、ペイマン・モアディ、シャハブ・ホセイニ、サレー・バヤト、サリナ・ファハルディ、ババク・カリミ、アリ・アスガー=シャーバズィ、シリン・ヤズダンバクシュ、キミア・ホセイニ、メリッラ・ザレイ
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イラン映画「別離」あらすじ
イランに住むナデルとシミンは14年の夫婦生活の後、離婚の危機を迎えていた。シミンは娘テルメーの将来を考えるとイランで暮らすのは望ましくないと考え、外国に移住を計画するも、ナデルはアルツハイマーの父親がいて「介護の必要があるからイランから出ることはできない」と言う。だったら離婚だ、とばかりにシミンは離婚を申し立てるが、イランで離婚するのはどちらかが一方的に悪い場合を除き、双方の同意が必要となるためうまくいかず、また娘の移住についても結局父親ナデルの許可が必要となることがわかる。打つ手がなくなったシミンは実家に身を寄せることになり、親類の知人であり敬虔なイスラム教徒であるラジエーをナデルの父親の介護のため雇うことになった。そして彼女の敬虔さ故か、はたまた偶然か裁判所を挟むもめ事が起きてしまう。
大して目を引くシーンはないのに、開始1時間目が離せない「別離」
あくまで僕から見てそう思ったいうだけなんだけど、この物語はナデルとシミンの離婚調停の様子から始まり、題名が「別離」であることから夫婦の物語なのかな、と思って見ていると実際フォーカスが当たるのはその部分ではないということが分かってくる。裁判所から帰るとシミンはさっさと実家に帰ってしまい、家には父親ナデルと娘テルメー、アルツハイマーを患ったナデルの父、それに雇ったばかりのラジエーとその娘が残される。冒頭のナデルとシミンの言い争いを聞いていると「頭の固いナデル」と「柔軟で現実的なシミン」というイメージで二人のキャラクターを見てしまうのだけれど、自身の仕事もありながら父親の介護にとても献身的なナデルと、娘を未来を心配していることを強調していたのに娘を置いて実家に帰ってしまうシミンという当初のイメージとは違う二人の姿が映し出されていく。
「別離」で描かれるイランという国の文化
多くの日本人にとってイランという国はどう映っているのか、語弊がありそうなのであえて言及はしないけれど、個人的なイメージとしてイランの人って人懐っこくておせっかい、あと少し図々しい(笑)描かれる登場人物もこんな国民性をよく表しているように僕には見える。バスで見知らぬ人がラジエーを心配したり、何かあると近所の人が出てくる。めんどくさいことには首を突っ込まないようにする(特に都会の)日本人とはこれも大きく違う。
「別離」で描かれるコーラン≒法律のイランという国の司法
イランでは刑事事件であっても日本のように警察が物的証拠を取って検察が告訴する、という流れはなく、刑事事件も民事事件(冒頭の離婚調停)と同じように1人の裁判官が質問し、双方が言い分を話し、必要なら新たな証人を連れてくる。日本で言う簡易裁判のような形で刑事事件が裁かれていくようだ。しかも結構雑(笑)帰りたかったら保釈金4000万トマンを払えと言われるシーンがあるのだけれど、120万円くらいか?高いのか安いのかわからないけれど、刑事事件なのに容疑者に交渉する余地があったりと日本の常識では計れない場面が多々ある。ちなみに1トマンは10レアル=日本円で0.0311円らしい。
イラン版「藪の中」と呼べる「別離」のミステリー的側面
芥川龍之介の「藪の中」というお話は知っているだろうか。殺人と強姦という事件をめぐって4人の目撃者と3人の当事者が告白する話なんだけど、それぞれの意見が食い違っていて誰が本当のことを言っているのかわからないというのが「藪の中」のキモである。この「別離」も作中で起きる”ある事件”について似たようなことが起こる。視聴者側には”ある事件”の真相や、実際にどうだったか、という細かい部分が映されないため、作中の裁判所での証言をもとに誰が悪かったのかと、見ている側も考えることになる。そして作中で起きる刑事事件となりうる二つの事件が共にほぼ状況証拠のみで判断されていく。ある意味”お奉行様”の裁量一つで罪が決まるようなそんな空気にハラハラである。
反イラン的な内容はNGのイラン映画事情の中で作られた「別離」
イランでは、映画は撮影を始める前の段階で、「文化・イスラム指導省」という官庁から脚本のチェックを受けます。「イラン・イスラム共和国」の価値観にあわない表現、たとえばラブシーンや飲酒などの描写は禁止。修正を求められるか、撮影の許可が出ません。 映画に詳しいイラン人記者によると、キアロスタミ監督の脚本は、この検閲は通っていました。ただ、自殺や売春といった重いテーマが多かった。イスラム教の規律を重んじる「保守強硬派」と呼ばれる人たちは、社会の暗部を映画が描くことを嫌い、公開を止めるよう映画館に圧力をかけました。結果、上映期間は短く制限され、DVDとして発売することも許されなかったんだとか。
上記はイランの黒沢明と言われたキアロスタミ監督死去の記事。そんな著名な監督の訃報すらスルーな国イラン。表現等においてもイスラム教の規律を重んじる「保守強硬派」にらまれると圧力がかかるらしい。そのせいもあって反イラン的な内容を扱うことはできないのが現実であるそうだ。これを踏まえると冒頭の夫婦のやり取りは、ただの離婚のもめ事という意味だけではなく、他の暗喩も含まれている気がしてならない。これは作品全体にも言えることであって、もっとイランという国のリアルを追及できたならもう少し内容が変わってくるのかもしれないし、できたとしてもこの監督は同じように作ったかもしれない。イラン事情を実際に知らない僕からすればこのあたりも「藪の中」である。
「別離」ネタバレなし 感想
全くBGMのない作風で、ぱっと見た感じテーマも重そう。なのにぐいぐいと引き付けられるのは文化の違いと一言で片づけられないほど日本とは違う国民性だったり、仕事や宗教の事情だったり、男尊女卑が当然とされていたりと、とにかく様々な違いがとても興味深いからだと思う。そして段々とイランという国がぼんやりながらもわかりはじめてきたころ、イランに生きる家族の物語が見えてくる。宗教上の規律や、それに紐づくルールなんかが違っても、家族が互いに思い合う気持ちというものにはやはり普遍的な共通性がある。また”ある事件”のために「イスラム教徒として正しくありたいと願う気持ち」と、「家族のためなら例え規律に反してもなんでもしてやりたい」という二つの感情の葛藤の中揺れる人間心理や、子を思いながらも子供の気持ちに寄り添えていない親、そしてその子供の気持ち。「別離」ではイランという国で生きる家族の色々な事情と感情が描かれる。この映画は泣けます!と断言はできないけれど、僕は泣きました。素晴らしい映画でした。