【不満をぶちまけろ】ファイト・クラブ
退屈な日常をぶちのめせ。男の喧嘩映画
「ファイト・クラブ」 1999年 アメリカ 2時間19分
監督:デヴィッド・フィンチャー
脚本:ジム・ウールス
原作:チャック・パラニューク
製作:アート・リンソン、セアン・チャフィン、ロス・グレイソン・ベル
出演者:エドワード・ノートン、ブラッド・ピット、ヘレナ・ボナム=カーター
ざっくりあらすじ
自動車会社に勤務し全米を飛び回りながらリコールの調査をしている会社員のジャック(エドワード・ノートン)の自宅が出張中に爆発事故に合い、ジャックは出張の飛行機の中で知り合った、タイラー(ブラッドピット)に助けを求めた。バーで待ち合わせ酒を飲んだ帰りにタイラーは「力いっぱい俺を殴ってくれ」とジャックに頼む。そしてふざけ合いながら本気の殴り合いを始めるジャックとタイラーは痛みの中で生きている実感を取り戻したような気分になり、その後二人は時々路上で殴り合うようになった。それを見ていた酔っ払いが参加するようになり参加者が増え、タイラーが「ファイト・クラブ」と呼ぶその会はいつしか毎晩行われるようになった。
男ってのはどこか闘争本能があるものじゃないか?
これ女性が見たらどうなんだろう、とこの映画を見るたびに思う。男の僕が見たってなぜ殴り合うんだ?と思わなくはない。だけど、殴り合って喧嘩するってこと自体が、日常では得られない類の喜びだろうということ男の僕らはどこかで知っている。
自己破壊の美学
「ファイトクラブは」他者に向けた暴力ではなく、あくまで自己破壊のためにある。自己破壊することで生きている実感を得る。
リーダーとなったタイラーの指令が鬼畜
タイラーが出すファイトクラブのメンバーに宿題がなかなかレベルが高いてちょっと面白い。
例)「知らない他人に喧嘩を売れ」
現代の社会構造や物質至上主義・消費主義にツバを吐く
「お前らはこの世ののくずだ」カメラに向かって言うタイラー。メッセージ性がかなり全面に押し出された映画。
物語はタダの喧嘩クラブでは終わらない
タイラーはどんどん精神的にコアな方向性に向かっていく。痛み、生きるということに向き合うということをどんどん追及していくタイラー。そしてタイラーの究極の目的とは。